「働き方改革」~自分にあった看護師の選択~

幼い頃から夢だった“いつも笑顔で優しい看護師”を目指し、資格を取得しました。看護師として地元の新庄徳洲会病院に入職しはや13年。私は8年間一般病棟に勤務した後、医療療養型病棟に2年在籍。そして、現在は障がい者病棟に勤務し3年になりました。

医療療養型病棟では、一般病棟で急性期を脱した後、慢性期的な経過を見るため医療行為を必要とする患者さん、あるいは自宅退院または施設入所までの準備段階の患者さん、そして看取りの患者さんが入院されています。

障がい者病棟では、重度肢体不自由、重度意識障害などがありコミュニケーションが図りにくく、寝たきりの患者さんが入院されています。日々、私は患者さんに寄り添い、看護ケアを提供することを心がけています。

理想の看護師像を変える出来事

新人の頃は、知識や技術を学ぶことが精いっぱいでした。失敗も多々ありました。そんな私に対して、いつもわかりやすく指導してくれる先輩がいました。臨機応変に迅速に対応してくれるその先輩看護師こそが理想の看護師像であり、いつもあこがれを抱いていました。そんな中、私の理想の看護師像が変わる出来事がありました。

私の祖母が米寿を迎えた翌年のこと。祖母は左の首に、手術で取り切れなかった甲状腺がんの腫瘤を抱えながら、かかりつけの他院に定期的に受診し経過を見ていました。幸いがん性疼痛が出現することはありませんでしたが、年々認知症が進んでいたため施設に入所していました。

そんなある日、突然、腸閉塞でかかりつけの病院に入院。状態は悪く、主治医の説明を受けたうえで、急変時の延命処置は行わず、苦痛だけはないようにしてほしいと伝えました。その後、数日で状態は安定しましたが、食事再開直後に消化管出血を起こしてしまいました。
私は祖母が嘔吐した物を見ておかしいなと思いました。その時、向かいの患者さんのもとに来ていた看護師さんが、こちらに目線を向けたにもかかわらず無言で退室。やむを得ずこちらから声をかけると「そうなんです。吐いてるんですよ~」とただひと言。たまたま忙しかったのかもしれませんが、同じ職業に従事する者として、その態度に疑問を抱きました。

祖母は、翌日には状態はさらに悪化し、嘔吐は続いていました。血圧も測れず、下顎呼吸となり、祖母は最期の時を迎えようとしていました。死と直面する機会も少なくなかった私は、あと数時間もつかわからないことを察していました。その時、医師の指示で看護師さんが、昇圧剤を投与しようとしました。その状況に昇圧剤を使用しても、苦しい時間を長引かせるだけ―。私は母にそのことを説明し、昇圧剤を投与することを断りました。その後、祖母はぐっとこらえるように息を飲み、最期に一滴の涙を流して亡くなりました。今でも祖母の最期の日々の出来事は忘れられません。

信頼関係があってこその安心できる最期

母は私に、「看護師の娘がいてくれて心強かった。おばあちゃんも安心して逝けたと思うよ」と言ってくれましたが、私には後悔が残りました。自分の病院なら対応も違っていたかもしれない。もっと苦しまずに逝かせてあげられたかもしれない。もう少し早い段階で徳洲会病院に転院できなかっただろうか……。そんな思いが渦巻いていました。

看取りの患者さんのご家族のほとんどが、苦痛だけはないようにしてほしいと願っています。そして何よりも信頼関係がなければ、患者さんとそのご家族は安心して入院生活を送ることはできませんし、看取りの場合も、安心して最期を迎えることはできないと思います。

私は祖母の死をきっかけに、あらためて今まで自分も患者さんに対して十分と言える対応をしていただろうかと振り返りました。忙しい時、自分の都合で患者さんを待たせることがあったことも反省しました。患者さんに不安感を持たせるような看護師にだけは、絶対になりたくないと強く思いました。

知識も技術も豊富で、臨機応変に迅速に対応できる看護師を目指し業務にあたってきました。それだけでなく、患者さんとご家族に寄り添い、耳を傾け、思いやりのある温かい看護を提供できることが、今の私の理想の看護師像です。

まだまだ未熟ではありますが、これからも日々努力し、仕事と家庭を両立しながら、この新庄徳洲会病院でよりよい看護を提供していきたいと思います。